しゅばいん・げはぷと

こんにちは……(全てネタバレ)

『ニュー・アース』

エックハルト・トールの『ニュー・アース』の原書を英語の勉強も兼ねて読んだ。

 

ニュー・アース

ニュー・アース

 

 

A New Earth: The life-changing follow up to The Power of Now. ‘My No.1 guru will always be Eckhart Tolle’ Chris Evans

A New Earth: The life-changing follow up to The Power of Now. ‘My No.1 guru will always be Eckhart Tolle’ Chris Evans

  • 作者:Eckhart Tolle
  • 出版社/メーカー: Penguin
  • 発売日: 2009/01/01
  • メディア: ペーパーバック
 

読むきっかけとなったのは、永井均がこれについてツイートしていたからで、そんなことでもなかったらこんな如何にも「スピリチュアル」な名前の本を読むことはなかっただろうが、なかなかどうして、下手な仏教(瞑想)本などよりも余程理知的に書かれている本だと思った(瞑想についての本じゃないが、かなり関係はしている)。

仏教(瞑想)本などでいつもイライラさせられるのは、一方で我を消せといいながら他方で本当の自分でなければならないというようなことを主張し、その一見矛盾に見えること自体には何の深堀も整理も与えないところだ。「一見矛盾に見える」ことにすら気づいていないのかと疑わしくなるほどの本がほとんどだ。

その点、エックハルト・トールの教えはスッキリしている。普通消せと言われる方の我は彼の用語では「エゴ」であり、普通良いものとされる本当の自分は(「存在者」=「エゴ」ではなく)「存在」そのものである。あらゆる内容(例えば私の記憶)や形式(例えば人の心理学的システム)は「エゴ」だが、それらがなんであれ、「それらがある」ということの「それら」ではなく「ある」=「存在」の方に照準を当てよ、という教え。これは仏教の無我説などよりよっぽどスッキリしているように思う。というのも、何もないのではなくともあれ何かがあるのは間違いないことだからである。無我説だと、少なくとも表面上はこのことに抵触してしまう。もちろんもう少し考えれば抵触せずに済む無我説の解釈が出来上がるわけだが、大概は表面上でとどまって力ずくで押し通し、何やらわけのわからない主張になっているのはほとんどではないだろうか。

とはいえ『ニュー・アース』はやはりスピリチュアル本であるからそれなりの胡散臭さはあって、それはなんと言ってもタイトルの「ニュー・アース」、つまり意識改革された人間たちによる新しい地球の誕生の予言(?)部分だろう。なんで胡散臭いと思うのかといえば、まさにこのように話を大きくすることこそが、著者の言うところのエゴの働きの結果ではないかと疑わずにはいられないからである(「今」ばかりを強調して「私」の問題には触れないからこんなことになるのかもしれない)。とはいえ、スケールの小さい(つまり個人に関係するような)部分の記述は納得感を持って読み進められた、だけではなく、著者がおそらく意図していたように、読むだけで心が落ち着いていく効果もある。

最後に一つだけ。永井均との関連でいうなら、この本は「今しかない」とは言っているが、「私しかいない」とは言っていなかった(と思う)。時間の持つ矛盾には言及していたと思うが、もちろん独我論の持つ矛盾については言及しておらず、なんとなくみんな繋がっているよ、程度の話だったはずだ。だからこそスピリチュアルとして成り立つのかな?

そろそろ永井均関連を離れて全然違う本も読みたいたところだが、さて……。