しゅばいん・げはぷと

こんにちは……(全てネタバレ)

『仏教3.0を哲学する バージョンⅡ』

『〈仏教3.0〉を哲学する バージョンⅡ』を読んだ。

 

〈仏教3.0〉を哲学する バージョンII

〈仏教3.0〉を哲学する バージョンII

 

今回(バージョンⅡ)の目玉はなんと言っても永井均のカント解釈の部分であろう。特に客観的世界の成立と持続する私の成立が相即的な(片方が成り立たなければ、もう片方が成り立たない)関係であるという辺りの議論がとても面白く、そのことについてはもっともっと紙幅を費やして論じて欲しかったぐらいだった。というより、永井自身は自分がやる必要がないという理由で興味がないようだが、カントの入門書を書いてくれないかなあ。私の知る限り永井均の本でカントの入門的(?)な解説があるまとまった分量書いてあるのは、『翔太と猫のインサイトの夏休み』と本書ぐらいなので(まぁ、カントの名前を出していなくても関係する話はそこら中で書いているかもしれない。例えば記憶にまつわる問題とか)。

さて、それに比べると藤田一照と山下良道というお坊さんお二人の話は本書では(前書と比べると)あまり面白くなかった。結局のところ、藤田は〈私〉を身体に近いものとして捉えており、山下の方は魂に近いものとして捉えているようで、そこのところを自己反省してさらに議論を戦わせてくれればもう少し実りある話にもなったのだろうが、二人とも自分の考えを変える気はないみたいなので、残念ながら断定的な口調で、しかし消化不良な話が続く。私が見たところだと、藤田の方は〈私〉が客観的世界に対して無寄与的だということについて無頓着であるがゆえに〈私〉が客観的世界内にあると思っている節があり、山下の方は逆に無寄与だということを強く取りすぎているがゆえに客観的世界とは別の、しかし同じく内容を持つ世界を作り上げてしまっている。

とはいえこんな話が、少なくとも仏教に興味を持つ層には切実な問題として届いている(らしい)のは驚くべきことだと思う。ちなみに、前書(『〈仏教3.0〉を哲学する』の無印)を読んでいない方はまずはそちらから読むのが絶対にオススメ。

 

〈仏教3.0〉を哲学する

〈仏教3.0〉を哲学する