しゅばいん・げはぷと

こんにちは……(全てネタバレ)

傑作『サマー・オブ・84』

なんとなく気になって見に行った『サマー・オブ・84』はとてつもなく面白かった。
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本当に「面白い」の一言に尽きるが、更に何か言うとするなら、久しぶりにストレートにハラハラドキドキ、怖がらせられたなぁ!ということ。どうやら監督は複数人のチームっぽいが、ともあれこういう才能にこそ真っ当なホラー映画を撮ってほしいと思う。

『チャイルド・プレイ』

チャイルド・プレイ』のリメイク(リブート?)を見たが、微妙だった。
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オリジナル版のストーリーは全く覚えていないが、想いのほかハラハラさせられ、とても面白かったことだけは覚えている。今作には痛そうな場面はあったが、そのようにハラハラさせられることはなかったのが残念。

そして一番残念だったのが、チャッキーがただのAIロボになってしまったこと。これじゃほとんど『iロボット』とかと変わらなくなってしまう(機械のチャッキーが意識を持ったことになにより驚嘆すべきだろう)。そして、今の時代、そういうAI話に新鮮さや夢や恐怖を抱くのは困難なのでつまらない(シンギュラリティとかをまともに信じている人ならともかく)。やはりオカルトものを見たいのだ。とはいえ、ああいうほとんど人間と同じAIというのもオカルト以上にはなりえないのでは、という思いも新たにしたのだが。

とはいえ、チャッキーが高橋ヨシキさんにそっくりで、そこはよかったな!

 

この夏のバカ映画2本立て

ワイルド・スピード スーパーコンボ
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言わずと知れた『ワイルド・スピード』シリーズのスピンオフ。バカ映画であることはわかっていたが、そのことをもはや隠そうとさえしない、厚かましいほどのストーリーの稚拙さにはさすがに閉口。そこは曲がりなりにも取り繕ってくれなければ。コメディ部分は笑えず、アクション描写も大したことがない。全体として、作り手の意図した面白さはないが、意図せざる(?)酷さに時折笑ってしまう感じだ。バカ映画としてもあまり評価できないが、さすがにホッブズの実家の廃品回収屋みたいのが、スーパーナノテクマシンみたいのを修理し始めた時には笑ってしまったが。

ドラゴンクエスト YOUR STORY』
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全体の上映時間の90%は、よく言えば5分で充分な宣伝用フィルムを異様に引き伸ばしたようなもの、悪く言えばゲーム中のカットシーンの寄せ集めのようなもので、退屈でつまらない。加えて台詞が恐ろしく酷い。が、そのつまらなさ・酷さにも意味があった(と少なくとも私は感じた)のだと、最後まで見ればわかる。が、私は途中で何度も時計を見て、何度も途中退場を考えたので、もう少し途中も面白くてもよかったのではないかと思わずにはいられない。が、ここまでつまらなかったからこそのあのインパクトだろう。確かに、このありふれたネタを最大限に活かすにはつまらなくしなければならないのだ!!

山崎貴を少し見直した。いい話のようにまとめていたが、どう考えても全てをおじゃんにする、虚無的で白けた余韻を残すエンド、最高だ!

ゲーム実況で外国語を勉強せよ!!

英語とドイツ語でゲーム実況を見ることに(自分でも予想できなかったほど)ハマっている。ゲーム実況で外国語を勉強するメリットをまとめると、

一、何よりも中毒性が高い(何しろゲームだもの!)ので、勉強という感がなくなる

ニ、フィクションで使われる外国語(ゲーム内の英語)と日常会話的表現(実況者のゲームに対するリアクション)を同時に浴びることができる

三、わからないところを読み飛ばしたり聞き飛ばしたりする、適度な「テキトーさ」を身につけることができる

ということになる。そしてこの二つのメリットをさらに活かすためには、

一、自分のプレイしたことのあるゲームを見る

ニ、ちゃんとしたストーリーがあり台詞が多いRPGを選ぶ

三、台詞を読んでくれる実況者を選ぶ

のが良い。そして付け加えると、ボイス付きのゲームは微妙だと私は感じる。というのも、実況者が読むよりも速く台詞(文字)が流れてしまうし、芝居がかり過ぎているからである。

また、ビデオよりもストリームの方がさらにいいのは間違いない。というのも、チャットとストリーマーの会話も楽しめるから。とはいえ、私は貧弱なネット環境しかないので、ビデオで我慢しているが(それに、リアルタイムでストリームを見るのはそもそも難しいだろう)。

さて、それではおすすめのゲーム実況動画を紹介していこう。

まずは英語から。


[Vinesauce] Vinny - Mother 3 - YouTube

言わずと知れた「MOTHER3」だが、これは実は国外では発売されておらず翻訳はファン・メイドだが、高クオリティ。私は調べていないからわからないが、ネットで探せば英語版のMOTHER3はただでプレイできるということなのだろう。ちなみに、私の一番好きなゲーム(と言えるの)はMOTHER3だ。物語のふざけ具合と、それゆえにむしろ際立つ物語の悲劇性とでも言うべきか、ともあれ物語のラストで泣かない人はいないのではないかと思われるほどだ。

実況者、というかストリーマーはVINESAUCEチャンネルのVinny。ストリームしたものをユーチューブに上げているので、ビデオの中ではチャットと頻繁に会話している(が、チャットが見れないのがちょっと残念)。声がとてもいい(これは、外国語学習時には極めて重要なポイントだろう)。有名ではないだろうが、ロックバンドのフロントマンもしていて、YOUTUBEでアルバムを聞くこともできる。この人は使う言葉は汚いが、私としては彼の性格は好ましく思われ、「ボイスアクティング」も高クオリティ。JRPG好きで、私のゲームの趣味と被るところが多い。ともあれ、私はすっかり彼のファンになってしまった笑。強くおすすめ。

下に、同じVinnyの動画をいくつか貼っておく。Earthboundはマザー2のこと。ファイナルファンタジー9は現在進行中なので完結していない(私はいつも続きを楽しみに待っている)。


[Vinesauce] Vinny - Earthbound - YouTube


[Vinesauce] Vinny - Chrono Trigger - YouTube


[Vinesauce] Vinny - Final Fantasy IX - YouTube

次にドイツ語のゲーム実況を2つほど下に貼るが、実は私自身、まだドイツ語話者のいい実況者を見つけられていない。なので、下の2つ(ブレス・オブ・ファイアファイナルファンタジー6)はこれから私が見るかもしれない、という程度のものだ。MOTHER3のドイツ語翻訳版があればいいのだが、おそらくない。MOTHER3を実況する人のことは高確率で好きになってしまうのに・・・。

 


Breath of Fire [Blind | GBA] - YouTube


Lets Play Final Fantasy VI [GBA] [Deutsch] - YouTube

ドイツ語マラソン(ゲーム途中リタイア篇)

ドイツ語で哲学の入門書を読んでいたのだが、なんだか疲れてしまったので、『ブレイブリー・デフォルト フォー・ザ・シークエル』という3DSRPGは言語選択できるというのを聞きつけ、ドイツ語テキスト+英語音声(音声は日本語と英語からのみ選択可)でやってみた。丁寧にサブクエストも全部やっていたせいで、途中で時間がループしだして(正確にいうとそうではないらしいが、ともあれそんな感じになって)ほとんど同じことを繰り返ししなきゃならなくなった辺りから、さすがにこれ以上このゲームに時間を費やしたくないという気持ちになってしまい、残りはさっさとネットでネタバレを見て終わりにした。

ひとつだけ感想を書くとすると、いつも言っていることになる。つまり、外国語で何かのコンテンツに触れると評価が倍増しになるということである。なぜなら、ありきたりな台詞も外国語なら新鮮に映るし、ダメな台詞も外国語なら(どの程度)ダメなのかわからないからである。日本語でこのゲームを何十時間もやることは私にはおそらく不可能だっただろうと思う。もちろんこのゲームの台詞が他と比べてとりわけひどいものだとは思わないが、日本のゲームにありがちな、アニメ的キャラがアニメ的なクリシェを口走りまくる感じが日本語では耐えがたかった(ので、すぐに音声も日本語から英語に切り替えた)。露悪的な表現も、本当にストレートに露悪なので、ものの数分で食傷気味になる。(まぁ、子どもがやるものだからね。。)

とはいえ、ネタバレで知ったどんでん返しは、結構いいものだった。それを体験できたわけではないのだが……。

 

 

『ハウス・ジャック・ビルト』

ラース・フォン・トリアー監督最新作『ハウス・ジャック・ビルト』を見た。なんと、途中退席してしまった(ある意味、とてもいい客)!
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たぶん、映画を見る前にしこたまご飯を食べたのと、最前列で見たために常に顔をあげていなければならなかったからだろうと思うが、画面上で繰り広げられるひどい事態をずっと見ていたら気持ち悪くなってきてしまい、本当に吐きそうだったので途中退席。具体的に言うと、主人公が子どもとその母親を殺す場面がかなりきつく、そしてその後に主人公が愛する女と一緒にいる場面で、おそらくその女も殺されるであろうということが、具体的な殺し方も含めて想像されてしまって画面を正視できなくなってしまった。

ちょっと前までだったら、私はこの手の露悪的な映画を見てもここまで気分が悪くなることもなかったし、むしろ「私もまたこの映画の主人公と似たようなものなのだ。人間とは底知れないのだ。自分の中の悪に気づかない者こそが、このような映画の存在そのものを否定するという愚行に走る」といったようなことを嘯いていたに違いないが、今はそんなことは思わないので、ただ単に気持ち悪くなったいう次第。正義感というか倫理観の強い人は一般的に共感力が強い人だと思うが、この手の露悪的な芸術映画を称賛する人というのも、そのような人々だろうと思う(少なくとも、一部の人はそうだろう)。どうしてそのような皮肉な事態になるのかといえば、そのような人々は悪人に対して過剰に共感・同情し、自分も彼と同じなのだ、ほら、だって現に俺はこんな醜悪な映画を笑いながら楽しんでいるじゃないか、といったようなことを言い出したがるからだろう。私も昔はそのように考えていたが、今は正義や倫理を対してはどうでもいいという気持ちが強く、ゆえに他人と自分が同じなのだなどとわざわざ考えなくなったので、逆にこのような露悪的な映画を「楽しめ」なくなってしまったらしい。これもなんだが皮肉なことのように思われる。私は端的にこの殺人鬼とは違うのである。

とはいえ私には、このような映画が作られるべきではない、とかいうことを主張するつもり毛頭ない。私にとってはこのような映画はもう必要ないようだが、映画は、というか芸術は、自分がそれを作ったのだ、という事実に最大の意味がある(というか、実はそこにしか意味がない)ように思われるので、本当はラース・フォン・トリアーがよければそれでよいのだろう。観客を楽しませなきゃ、とか、観客に認められなきゃ、みたいなことは、現実的な観点から見れば確かにかなり重要だろうが、「本当のところは」どうでもいいのではないだろうか。最後まで見ることはできなかったが、『ハウス・ジャック・ビルト』はそのようなメッセージの作品ではなかったのではないか、と疑っているのだが、さて……。

『旅のおわり世界のはじまり』

『旅のおわり世界のはじまり』は、最近見た映画の中では一番面白かった。とはいえ、良くできた作品とは言えない。黒沢作品の中でもとりわけ変な映画だった(とはいえ再び、それがマイナスポイントにならない凄さが黒沢清にはあるのだが)。
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黒沢清監督の映画は「怖い」映画ではない、というのが私の考えだ。彼の映画は「怖い」のではなく「不安な」(つまり人を不安にさせる)映画なのだ。少なくとも黒沢作品で私が好きなものにおいては、人々が自明のものとしている常識が失われ、時にはそのまま日常に戻れなくなったり、時には決定的に変化した自己を抱えてまた日常を生きていったりする。『CURE』では実は我々を縛るものなど何もないのだと主人公は知り人々に殺人を促す「伝道師」になるし、『トウキョウソナタ』では仮面家族の化けの皮が完膚なきまでに剥がされるが、しかし家族は再び家族を生き直すのである。つまり、黒沢清作品のポイントは、ともあれ「日常」や「常識」が崩れ去ることにある。そしてその時「不安」が顔を覗かせるのである。

そう言うと、今作『旅のおわり世界のはじまり』のような、非日常である「旅」をテーマにした作品は日常を疑う黒沢清にぴったりであるかのように思われるかもしれないが、実はそうではない。そうではないから、今作のような変な(しかし抜群に面白い)映画が出来てしまったのである。どういうことか。

旅に出ることで人が疑い始める常識とは例えばどういうものだろうか。すぐに思いつくもので言えば自国の文化や道徳やルールなどと言ったものであろう。旅に出ると、自国のそれらが旅先のそれらと比較され、相対化される、そしてそのことが不安を呼び起こすというのは確かにそうだ。しかしながら、黒沢が得意とし、いつも表現している「不安」というのはその水準のものではないのだ。旅によって相対化されるのはあくまで「自国の」文化や道徳やルールであるのに対して、黒沢の映像表現は(どうしても)文化や道徳やルール「そのもの」を疑ってしまうのである、その水準で不安が現出してしまうのだ。人を殺そうと思えば自由に殺せるではないか、という不安を『CURE』では観客に芽生えさせ、家族で生活する必然性などまるでないのではないか、と『トウキョウソナタ』を見たあとの観客は思うであろう。

さて今作『旅のおわり世界のはじまり』がなぜ奇妙な映画かと言えば、この2つの不安の水準が混同されているからである。もっと有り体に言うと、物語としては旅の不安レベルで演出を抑えておけばいいものを、いつもの黒沢レベルの不安を描き切ってしまって、しかもそれを「旅の不安」としてこちらに提示するものだから、常に強烈な違和感と緊張感が漂っている。主人公含む撮影クルーの面々はどう考えても旅に疲れているからではなく、そもそも壊れてしまっているように見える(特に染谷将太! 彼は黒沢清映画でサイコキラーを演じるべきだ!)し、街は見知らぬところだからではなく、そもそも実態などない廃墟のようなものなのだ。ウズベキスタンにあるからではなく、そもそもからして回転遊具などおよそこの世にあってはならないような馬鹿げたものなのだ!

もう一度繰り返そう。変な映画だ。でも抜群に面白い。見たほうがいい。