しゅばいん・げはぷと

こんにちは……(全てネタバレ)

『ゲルマニア』

ゲルマニア』をドイツ語でついに読み終えた……。長い戦いだった……。

 

ゲルマニア (集英社文庫)

ゲルマニア (集英社文庫)

 

 

歴史ものでありかつミステリーだが、ミステリー部分は大したことがなかった。というか、これまた最近(なぜかドイツ語で)読んだサイモン・ベケットの『法人類学者デイヴィッド・ハンター』と恐ろしく話の展開が似通っていたので、どうかと思ったが。

 

法人類学者デイヴィッド・ハンター (ヴィレッジブックス)

法人類学者デイヴィッド・ハンター (ヴィレッジブックス)

 

 

似通っていたというのは、つまり、女性が被害者であることや、しかもひどい拷問の後に殺されること、一旦は白痴の男が捕まり一件落着にみえたところで黒幕の存在が露わになることなど、この点に関しては、はっきり言ってうんざりであった。この二作の影響関係はわからないが、まぁ、ありきたりと言えばありきたりの話なのかもしれない。ただ、あまりにも似ているので、他のミステリーに手を出す気が失せている。というのも、また同じような展開だったら最悪だからである。こういうのは、ミステリー界である時期流行ったりしたのだろうか?

ともあれ、『ゲルマニア』に話を戻すと、続編を読みたくなるぐらいにはキャラクターの魅力は十二分にあった。とはいえ、続編を読むかはわからない。私はドイツ語の勉強も兼ねて読んだので特にそう感じたのだろうが、あの時代の描写・説明の冗長さや、ストーリーテリングの回りくどさにまた耐えられるかどうかがわからないからである。でも、彼らがどうなるかは気になるなぁ。

それと、1つ気づいたのは、欠点というわけではないが、歴史小説とミステリーを融合させるのは結構難しいというか、実はその2つは本質的に相容れないのでは、ということである。というのも、ミステリーの快感というのは、合理的思考によって正解を導いていくことによるもので、そこで偶然が大きな役割を演じてしまったら(例えば、たまたま入った店でたまたま悪自慢をしている犯人を見つけて一件落着などしてしまえば)しらけるわけだが、一方歴史的事実とは、なにはともあれもう起こってしまったことであり、究極的にはそのことに理由はなくただそうなのであり(=偶然)、それはもう変えられないのだから、それを物語の中に組み込むとしたら、それは偶然と同じような、合理性にとっての異物としての不合理を演じざるを得ない。であるから、歴史(知識ではなく、実際にあった出来事そのもの)が少なくともミステリー的捜査に影響を与えてはならないのである。本作はそのような間違いを犯しているわけではないのでミステリー的倫理は守られているが(とはいえ、歴史とは関係ないところでそれを破ってしまっているところはある。黒幕周りがそれである)、逆に言うと、実際に起きたことがダイレクトには展開に反映されないので歴史小説としては物足りなさが残る。歴史が(犯人の動機など)背景としてだけ使われるだけで、それが限界なのだ。