であ・あいんつぃげ

こんにちは……

『ファービアン』を読了

大体二週間を使ってケストナーの『ファービアン』(原題“DER GANG VOR DIE HUNDE”)を読んだ。ドイツ語の原書である。かなり厳しい戦いだったが、一日20ページぐらい読み、どうにか気が狂う前に読み終えることができた。

ドイツ語でケストナーによる児童書を数冊読み終えていたからであろうか、この大人向けの小説も割とスムーズに読み通すことができた。使われている語彙などは児童書と比べて段違いに多かったのだろうが、文法的な難しさ、というか文章の複雑にやられることはあまりなかった。という意味で、ドイツ語学習者にとって結構おすすめできる一冊だ。私のようにまずは数冊児童書の方を読み通すといいかもしれない。そうすると(少なくとも読む力における)基礎的なドイツ語力が身に付だろうから。

内容は(ネタバレになるが)結構暗い話ではある。戦間期のドイツが舞台であり、(たぶん)書かれたのもその時期だが、人々の虚飾にまみれた乱れた風俗が盛んに描かれ、そのことによって人生の虚しさが強調されている。話の筋はエンタメ的とすらいえ、しかも間違いなくどの場面も面白く、退屈するところは少ない(もちろんあるにはある。現代人にはスローペースだと感じられるかも)。しかし話の内容といえば、親友が自殺したり恋人が映画出演のためにプロデューサーと寝たりと、これまたきついことの連続である。ともあれ、この小説は間違いなく傑作である。虚無感や絶望といった、およそエンタメにはふさわしくないものを、(文芸的、ではなく)エンタメ的に語っているような感じだ。内容ではなく技巧がエンタメ的である、ということで、私の好みである。ただ、悪い奴は悪い、下卑た奴は下卑た奴、という単純な描き方を大人向けの小説でもしていたことには驚いたが(児童書だからそう描いていたのだと思っていた)。

同じ著者の子供向けの本と比べても、基本的にはケストナーのスタンスは変わっていないように思う。要は「立派に(道徳的に?)生きる」ことがよいことだ、というスタンスだ。しかし、『ファービアン』では更に自己批判する視線が加わり、そもそもそんな風によく生きることができるのか、ということと、よく生きたところでそれが何かを変える力になるのか、ということが疑問に付されている。そして、現にファービアンのやっていることは他の人間がやっている(汚い)ことと変わらないし、彼は無力極まりなく(それどころか虚無的で)、象徴的なことに、彼は泳げないのに子ども助けようとして川に飛び込み、溺れ死ぬ。

 

Der Gang vor die Hunde

Der Gang vor die Hunde

 

 

 

ファービアン―あるモラリストの物語 (ちくま文庫)

ファービアン―あるモラリストの物語 (ちくま文庫)

 
ファビアン――あるモラリストの物語

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