であ・あいんつぃげ

単独者のみなさんへ……

そもそもよく生きるべきなのか、それが重要だ

 永井均がいつか呟いていたシュティルナーの『唯一者とその所有』を引き続きドイツ語で読んでいる。第一部のⅡの2のⅰ(日本語訳にしてわずか40ページほど……! ドイツ語版は電子書籍なのでページ数的にはよくわからない、というか言っても意味がないが、全体の8%ほど……)までしか読んでいない。読み終わるまでにどれぐらいかかるかわからない、途方に暮れる、としか言いようがないが、他に面白い本がドイツ語で見つかるとも最近は思えないので、実は別に問題はないのである。(どんな小説があるかはほとんど知らずに)小説を読むつもりでドイツ語を勉強し始めたのだが、小説そのものへの興味がなくなりつつある。それでなくともドイツ語で書かれた小説でよく知られているものはカフカヘルマン・ヘッセゲーテなどなど(ちょっと手は出したものの)敷居が高い。唯一ホラーは読みたいのだが、ドイツ語で書かれたホラーで面白いものを見つけるのが面倒くさいし、もうちょっとすらすらと読めるようになってからでないと、ああいう馬鹿らしいものが読み切れない気がする。ホラーを「頑張って」読むなんてことがあってはならないと思うからである。

 話が逸れたが、まだ全然読んでいないとはいえ、『唯一者〜』における「精神(der Geist)」についての見解は素晴らしいと思う。特に膝を打ってしまうのが、人は純粋な精神ではないこと事実から「自分は精神以上の存在だ」と言うのではなくて「精神以下だ」と言いがちだというようなことが書かれている箇所だ。シュティルナーによると、キリスト教から脱してもその事情は変わらない。純粋な精神は自分自身ではありえないのでそれは自分の外に置かれて「神」と名付けられた。しかし、神という虚偽が暴かれ、神と呼ばれていたものは自分の精神なのだと言われるようになっても、それが「自分」そのものではないという事実には変わりない。それは自分の「精神」なのであって、「自分」ではないからである。その時、純粋な精神になりきれないことで人は自分を責めさいなむのであるが、やはりおかしな話だ。精神とは違う他の何か(例えば肉体)を持っているのだから、「私は精神以上の存在だ」と言ってもいいはずだからである。どころか、そちらのほうが自然のように思われるのだが。

 そういえば私は昔から、例えば人が「やらなければいけないこと」をやらないで「遊び」にかまけてしまったことを後悔し嘆いているのを聞くと、その嘆きはどうでもいいのではないかと思わずにいられなかった。もちろん気持ちはわからないではない、どころか私もたまにその種の嘆き方をするのだろう。しかし本当のところ、さっきの話で言うと、「やらなければならないこと」は精神が命じるところのものであろうが、それが「遊び」よりも優先されるべき理由が全くないと思ってしまうのだ(ただし、「遊び」が「やらなければならないこと」より優先される理由もまたないのかもしれないが)。

 というわけで、私にとって重要な問いはいつだって「どうやったらよい人生を送れるか」ではなく、「そもそもよい人生を送るべきなのか」ということだった。普通の人が精神的な人間であるとは思えないが、しかし彼らは「精神が命じるところのものは良い」という価値観は疑っていないように思う(実際にその価値観に従うことができているかはともかくとして)。あぁ、しかしどういうことだろう? 私はドイツ語でこんな本を読んでいるぐらいだから精神的(とまで言わなくても、観念的な)人間であると言っていいと思うが、どうやらそういう人間に限って精神というものがまるきり信用できないようなのである。良い人生を送る方法が実践できない、というレベルではなく、そもそも良い人生を生きるべきなのかという水準でつまずいでしまう。

「精神」を「観念」と置き換えてもうちょっと考えてよう。普通の人は観念を扱うことに不慣れであるが、それは彼らが観念的でないからであろうか? 多分そうではない。そうではなく、彼らは観念にどっぷりと浸かっているので、いわば「観念の客観視」ができないのだ、だから観念を「扱う」ことはできないのである。だから普通の人が実は一番観念的なのだとも言えるであろう、だからこそ常識という観念に流されるままなのだ。じゃあ、普通観念的だと思われている人々はどうなるのか? 彼らは「観念」を客観視できるところに立っているのだから、つまり「観念」の外に立っているのだから、観念以上の「私」に(のみ)拠って考えているのだから、実は観念的ではないのだ。だが一方で、彼らが普通の人よりも(少なくともその昔は)観念的であったことは経験的に疑い得ないように思う。そもそもどっぷりと浸からなければ、そこから出られない、というわけだろうか? しかし、本当に出られているのか? (永井均的な意味での)私がただの観念に過ぎなくなったら、やはりその人も観念的人間に過ぎなくなるのだろう。

 

唯一者とその所有 上 (古典文庫)

唯一者とその所有 上 (古典文庫)

 
唯一者とその所有 上

唯一者とその所有 上