しゅばいん・げはぷと

こんにちは……(全てネタバレ)

『エターナル・アルカディア』

『エターナル・アルカディア(Skies of Arcadia)』の実況(英語)を見た。


[Vinesauce] Vinny - Skies of Arcadia Legends - YouTube

英語(外国語)の勉強として(RPGの)ゲーム実況を見る際に、そのゲームが自分が知らないものだと結構きつい。ストーリーがわからないから台詞の意味の推測が難しかったり、ノスタルジーを刺激されないから見続けるのが難しくなったりするからである。

『エターナル・アルカディア』は私にとってそんな未プレイのゲームなのだが、私の好きな配信者VinesauceのVinnyのお気に入りのRPGということなので彼の実況プレイを見てみると、これが思いの外楽しめ、(めちゃくちゃ長いのに)最後まで見てしまった。

未プレイのゲームなのにどうして楽しめたのかと言えば、英語がわかりやすくストーリーをちゃんと追えたからである(そしてプロットは少なくとも悪くなかったからである)。わかりやすいとは、つまりキャラクターの台詞等がありきたりで予測可能なので英語でも瞬時に理解できた、ということだから、日本語でプレイしたり見たりしていたらすごく陳腐に感じた可能性はある。しかしともあれ、外国語を学ぶときには、意味が容易に予測可能な文を大量に「浴びる」ことが重要であるのは間違いないよう思われる。

(私もその一人だが)コミュニケーション欲求からではなく知的好奇心から外国語を学ぶ者は、一通り文法を終えた後すぐに本格的な文芸作品やら専門書やらに手を出してしまいがちだと思うが、これはやはりあまり(効率が)良くない。永井均の『翔太と猫のインサイトの夏休み』の第三章に言葉を学ぶことについて少し書いてあるのだが、短く引用すると「相手がこちらの予想がつくようなことをしてくれなけりゃ、言葉は永遠に学べない」のである。例えば、糞尿を見て嫌な顔をしながら「きれいだ」と言う外国語話者、あるはバラの花の色を「緑」と言う外国語話者がいたとして、私たちはその彼から彼の使う言葉を学ぶことはできないだろう。もっとひどい例でいうなら、転んで痛がった顔をして「地球は太陽の周りを回っている」などと言う人から、その人からその人の使う言葉を学ぶことはできない。再び『翔太〜』から引用すると「まともでありふれたやつら」からしか我々は言葉を学べないのだ。

もちろんこれは原理論で、我々がその外国語についての多少の知識や文法書・辞書等を持っている現実的な場面ではその限りではないだろう。(とはいえ、その文法書やら辞書やらは「まとも」でなければならないが)。ある人が言った予測不能なことを書き留めて、その意味を辞書等を使って確定することはできれば、それもそれで学習になるだろうから。とはいえ、原理論に逆らわないほうが(効率のためには少なくとも)賢明であるのは言うまでもない。

前置きが長くなってしまったが、つまり何が言いたかったかと言うと、外国語学習のために文芸作品や(新たな知見を得られるであろう)専門書などを使うのは効率が悪いということだった。なぜかといえば、文芸作品でいえば、その世界では予測可能な文章やストーリーはクリシェとして蔑まされているので予測可能な文章に行き当たることが難しいからであり、専門書は新しい知識を私達に授けてくれるだろうが、それは「新しい」のであるからもちろん予測可能とは言い難いからである。

だから、外国語学習目的だったら、もっとクリシェを浴びるべきだ。『エターナル・アルカディア』はそのためにかなりいい教材である(皮肉ではなく)。

 

加えて、外国語学習のためにいいゲーム実況者というのもまた、文脈的に予測可能な・ありきたりなことしか言わない人である、とだけ付け加えておくが、Vinnyはそうでもない(チャットと色んな話題について話しているので)。