であ・あいんつぃげ

こんにちは……

『ヴェノム』とマインドフルネス

『ヴェノム』を見た。つまらなかったことは間違いない。アクションの半端さ、コメディの半端さ、ストーリーのどうでもよさ……
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とはいえ、この映画にとっては全く本質的な事ではないが、しかし考えるべき点がないではなかった。それを一言で表現してみれば、心の声と瞑想の関係、とでもなるだろうか。

主人公のエディが仕事を失くし恋人に去られ不幸のどん底に落ちた時、彼は起死回生を夢見て再度悪役のラボへの取材を敢行する。しかしそこで地球外生命体のシンビオートに寄生され「ヴェノム」になってしまい、それ以来心の中でその寄生生物の声が聞こえるようになる。それを制御できない彼はしばしば統合失調症患者のような振る舞いをしてしまうのだった。重要なのは、「ヴェノム」になる前、不幸から抜け出すためにエディが(馬鹿にしたような演出とともにではあるが)瞑想を試みようとし、失敗する場面があることだ。

私の知っている限りの瞑想、すなわち巷でマインドフルネス瞑想と呼ばれているものは、心の声を対処する(消す)のが目的(の一つ)だが、ここで描かれているものも同じようなものだとすると(おそらく制作者の意図を超えて)この瞑想失敗→心の声の氾濫→精神病(のメタファーとしてのヴェノム)という流れはかなり的を射ていると思った。不幸ゆえに氾濫した心の声に対処できず、彼は精神病者になったのである。

心の声はしばしば(この映画のキャッチコピー通り)「最悪」である。精神病者にまでならなくとも「最悪」である。この映画の中でその好例と言えるのは、ヴェノムがエディの恋(?)を後押ししているかのように見せかけてただおちょくって楽しんでいる場面だ。これをヴェノムというメタファー抜きで見てみると、その「不幸」は明らかだろう。自分にとって大事な事柄にさえ心のどこかでは真剣になれない人間の「不幸」である。最も、この映画の他の全てと同じように掘り下げが足りないし、基本コメディなので、そうは映らないだろうが。ともあれ、瞑想することの大きな利得の一つは、このような「真剣になれない心の声」を消し去ってしまえることだ。