しゅばいん・げはぷと

こんにちは……(全てネタバレ)

一人称と三人称

最近は相変わらず『法人類学者デイヴィッド・ハンター』のドイツ語版(“DIE CHEMIE DES TODES”)にかかりきりだ。知らなかったのだが日本語訳でどうやら500ページ近くあるようで、わりとすぐに読み終えられるだろうと思っていた私は、甘く見ていたと言わざるを得ない。そろそろ半分が読み終わりそうだが、もうこの本に一ヶ月以上付き合っている……まぁ、結構面白いのでいいっちゃいいのだが、やはりこれだけ付き合っているのならば、この本を手がかりにして何か考えてみよう。

さて、この本、基本的に主人公のデイヴィッドの一人称視点で語られるわけだが、時折客観視点から三人称で語られる場面もある。デイヴィッドが事件を究明しようとしているパートは一人称、犯人についての仄めかしや被害者が被害に遭ったりするところなどは三人称だ。

私は別に、こういう書き方自体が真新しいとか興味深いと言いたいわけではない。いや、私の読書遍歴的にあまりこういう書き方の本は読んでこなかったが、別に普通の書き方と言っても間違いではないだろうと思う。現に、読んでいて違和感を覚えることはない。私が言いたいのはむしろ、こういう書き方が別に普通だということのほうが興味深いのではないか、ということだ。小説の技術的な面ばっかりに気を取られてしまう頭でっかちな人にとっては、もしかしたら本作のような一人称と三人称との混在は統一感ないものとして斥けるべきものなのかもしれない。しかし普通に読む限りでは、(少なくとも人称の問題によっては)統一感の欠如を感じることはない。だが再び頭で考えると、「私視点」と「客観視点」が混在しているのだから不統一の印象を受けるのもまた当然ではないか、という疑問が湧いてくる。

小説に限らず(特にテレビゲームなどでは)「私視点」で描かれた物語には没入感を得やすく、「客観視点」で描かれる物語にはどこか他人事感、とまでは言わなくとも、外側から舞台を見ている感覚が伴う、というような見解が一般的だろうと思う。しかし、これは誤解ではないだろうか。なぜなら、物語中の「私」は(当たり前のことながら)私ではないからである。「私視点」はどこまでいっても所詮、本当の私の視野の中の対象物(私の視野の模造、枠そのものではなく枠の中の枠)に過ぎない、という意味においては、一個の舞台を作り出す「客観視点」と等価である(「私視点」も一個の舞台を作り出すに過ぎない)。そう考えると、頭で考えると統一感の欠如のように感じられる「私視点」と「客観視点」の混在が、なんの問題にもならないのにも合点がいく。「私視点」の世界も「客観視点」の世界と同じように、本当の私の世界の中の対象物(外から眺める舞台)に過ぎないとして一括できるからである。

さてここで、上のことを前提として1つの疑問が湧いてくる――「私視点」と「客観視点」とどちらの方が没入感が得られやすいか、という疑問である。いや、「没入感」という言葉は「私視点」びいきの言葉のように思われるから、どちらの方により夢中になれるか、という形に疑問を変えたほうがいいだろう。

しかしもちろん、この疑問に答えるのは簡単ではない。人によって違うとしか言いようのない面もあろうし、その他無限の要素が絡んできてしまうのでおそらく解答は得られない。だが、少なくとも次のようなことは言えるのではないだろうか。「私視点」は本当のところは私ではないのだから、私が「私視点」と一体化していると言う時その言明にはある種の「騙し」があって(騙しているのか騙されているかはここでは問題ではない)、その「騙し」は場合によっては、あるいは人によっては夢中になることを妨げる要因となるのではないか。ゲームの例で言うと、モニターに映るFPSゲームの一人称はやはり私の視野自体ではなく、どこまでいってもそれは私の視野の中のモニターに過ぎず、これを私の視野と同一視できる能力というのはかなり個人差がありそうである。また逆に「客観視点」およびそれが作り出す世界というのは、端から私の世界の中の対象物・ある種の舞台として受け取られ、そして事実そうなのであるから、そこに「騙し」が介在する余地はない。ゲームの例を続けるならば、TPSゲームの世界というのはそれがヴァーチャルであるというだけで、例えばおもちゃの家などと同じように、それは私という世界の中の対象物・ある種の舞台であり、それだけである。私が私のままで舞台を観察したりいじれるのである。ただし、舞台の中の登場人物に「感情移入」するとか、言い出すと話がややこしくなるのであるが……

 

Die Chemie des Todes (David Hunter 1) (German Edition)

Die Chemie des Todes (David Hunter 1) (German Edition)