であ・あいんつぃげ

こんにちは……

今夏一番『インクレディブル・ファミリー』


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インクレディブル・ファミリー』を見た。今夏一番の面白さであるのは間違いないだろう(もっとも、今年の夏は映画は不作だと思うが……)。ヒーロー子育てが楽しい、バトルが楽しい、とにかく楽しい。
唯一残念に思ったのは、悪役の動機の部分。それも、あるどんでん返しが起こるまでは最高だったのだが。(途中までの)悪役曰く、お前らは自分では何にもしないでテレビ(あるいは何かのモニター)ばっかり見て、その中でなにかしている人を見ることでなにかした気になっているけど、本当は何もやっていない、そんなお前らは操られて当然だぜ……大体こんな内容のスピーチを長々と、まさに我々観客に向かって聞かせてきたあたり、かなりしびれた(あそこはかなりの人がなんだか気まずくなったのではないだろうか)。おそらくここらへんはブラッド・バード監督の本音、というか吐き出したい毒の部分だったように思われる。

しかし、後半になって悪役の正体と「真の」動機が語られると、途端に全てがどうでもよくなってしまう。曰く、助けてもらいたかった時にヒーローは来てくれなかった云々かんぬん……まるで説得力がないし、どこか聞いたような話だし……。おそらくこちらの「真の」動機こそが監督の本音を隠すための「嘘」であろう。

ところで、今作で見られた監督の本音ないし毒のような主張、例えばエヴァンゲリオン庵野秀明監督もまた持っている(少なくとも持っていた)であろう主張、すなわち「作り物にばかりかまけているやつは豚野郎」的な主張は、誰もが即座に思い至るとおり、自己否定の一形態である。なぜなら(これも誰もがすぐに思いつくように)「じゃあ、そういう作り物を作っているあんたはなんなんだ」という批判がすぐさまこの種の主張には向けられざるを得ないし、当然作り手はこの種の批判を見越してなおやはりああ主張をするからである。

ただし、今作では一応悪役に次のように言わせている。曰く、人々はよいものを使わず、すぐに易きに流れる、楽をしようとするためだけに道具を使う、と。つまり、作り物自体は悪いことではないが、よいものを使え、自分が怠けるためのものなどに触れるな、と。しかし、だからといってじゃあ、先の主張が作り手にとって自己否定的じゃなくなるかと言うと、否、と言わざるを得ないであろう。というのも、今作は本当に面白いから、人々は安楽に楽しめるから、その分人々を怠けさせてしまうから……。あらゆる分野において、この種の矛盾は永遠に解かれることはないだろう。ある人々によって成し遂げられた努力の産物が、他の人々の怠惰へとつながる。しかし、そのあることを成し遂げた人間は得てして、他の人々にも自分と同じように努力して充実した人生を送ってほしいと願っている。そんな願いこそが馬鹿げていると簡単に言えればよいのだが……。