しゅばいん・げはぷと

こんにちは……(全てネタバレ)

「ひとりごと」BUMP OF CHICKEN

最近またBUMP OF CHICKENを聴き直しているが、なかなかいい。今のところ一番新しいアルバムの『butterflies』もなかなかいいが、やっぱり思春期(だったっけかな?)の頃に聴いていたものは格別。特に『orbital period』の(藤原基央の)思考の煮詰まり感は半端ではなく、こんな曲を聴いていなければ私ももう少し軽やかに生きられたのではないかと疑うほど(こんなややこしいバンドが日本の超人気バンドだなんて!)。特に「ひとりごと」がやばい。

「ひとりごと」は(大げさに言うと)倫理というのは果たして成立しているのか、という疑問を投げかける。2番のAメロの歌詞前半部がこの曲のテーマをわかりやすく伝えている。

ねぇ/心の中にないよ/僕ためのものしかないよ/そうじゃないものを渡したいけど渡したい僕がいる

そう、どう考えたって、いやむしろ一度考えてしまったら「全て自分のすることは自分のためにしている」という理屈が絶対の真理のように思われてくる。この曲に沿って言えば「私があなたに優しくするのも結局は私の益になるからなのだ」ということを否定するのは難しい、ということだ。優しさによって直接的に「あなた」から自分の利益になるものを引き出すことももちろん「私のため」だが、それはまだ甘っちょろくわかりやすい話で、本当の問題はそれじゃない。「わたし」にはなんの利益にならず「あなた」にだけ利益になることを「わたし」がしても、結局「わたし」のためになってしまう、なぜならそうなることを「わたし」が望み実現したのだから。そしてそれは本当の優しさではない……それがこの曲で嘆かれている問題なのだった。

バンプの他の多くの曲同様、「ひとりごと」もまた提起された問題に対してある解答を与えている。ここではその解答とは「優しさは人の心の中にはないが、人と人との間にある」といったもの。つまり、動機はどこまでも利己的かもしれないが、事後的に「優しさ」と(相手から)みなされる行動を我々は取るのであり、そういう関係性ぐるみで眺めれば、人間という存在もそう悪くはない、といった感じである。エゴから脱するために、自分をもっと大きな関係性の中の一部とみなすという点で、仏教の縁起説なんかと近いのかもしれない。

昔この曲を聴いたときは「うまい展開だなぁ!」と感心したものだが承服しきれなかった。その時は「人と人との関係の中に優しさがあるって言ったって、結局わたしがわたしの内部でそう思っているに過ぎないじゃないか」という点で引っかかっていたのだが、今はむしろ「究極的には人間は利己的存在であったとして、そもそもそれが悪いとなぜ言えるのか? 〈本当の優しさ〉なるもの、ありもしないものを想定したことが、そしてそれにたどり着けないと嘆いていたことが、そもそも間違っていたのではないか。エゴイスティックで当たり前なのではないか」という思いが強い。そして実は、最近のバンプの曲、例えば「Hello, world!」のような「自分=世界」という曲を聴くにつけ、明らかに藤原基央の中にも「ひとりごと」で示された方向とは真逆のベクトルが潜んでいると私は踏んでいるのだが、それはまた別の話。