であ・あいんつぃげ

こんにちは……

『ビューティフル・デイ』と(映画的)教養について

ビューティフル・デイ』を見たのでちょっと感想。


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いやぁ、久々に映像に見惚れてしまったなぁ。それと(いやそれ以上に)音楽のカッコよさと言ったら!


ところで、こういう「説明不足」の物語を楽しむ際には当然(最低限)映画の「文法」は一通り理解していなければならないが、どうやら多くの人はそのための「訓練」をしてきていないようで、本作を見ても意味がわからないらしい。そして、ちょっとネットの感想を覗いてみると、いつもの通り知性のない人間が知性がないことを誇って、わからなかった僕でいいんだ、洗練された映画の方こそが悪いんだという始末。もちろん、洗練されすぎた映画=ハイコンテキストな映画の是非を問うことは可能なのだが、私としてはやはり批判するにしても批判対象を楽しめる能力・知識を有しているのは大前提だと感じる。


しかし、一般に批判するなら批判対象を理解した上で批判するのがよいと感じるこの「趣味」に本当のところ正当性があるのかと聞かれたら、別にないと言わざるを言えないだろう(バカが考えなしに何か言ったことと頭のいい人間が考えに考えて言ったことと、結局中身は変わらないということは往々にしてある)。しかしここで「別に正当性はない」と言うとき、それは一度「正当性がある」という可能性を考慮したあとの否定であるから、やはり「批判対象を理解した上での批判」という構造を保っていることになる。つまり何が言いたいかというと、人は普通バカ(何も知らない状態)には戻れないということである(戻りたがっている人をよく見るので)。