であ・あいんつぃげ

こんにちは……

『タクシー運転手』の感想

『タクシー運転手』を見た。


f:id:hr-man:20180527153920j:image

 知り合いの韓国人に、『タクシー運転手』を見たが、最後のカーチェイスは流石に笑ってしまった、と言ったら、もちろんエンタメ的に面白く誇張はされているが、しかしもととなった出来事は韓国人にとってはとても悲しいものなのだ、というようなことを言われた。確かにもとの事件もその背景となる韓国の歴史もほとんど知らない私は、なるほど、とは思った。だが、しかし、この映画はその悲惨さを伝えることに成功しているか? 
 全体的にあらゆるジャンルの継ぎ接ぎのように感じた。もちろん実話ものではあるのだが、同時に人情喜劇でありホラーでありカーアクション映画であり……特にホラー的に演出された箇所とカーアクション的箇所が映画から真剣さを奪い去ってはいなかったか? また、細かいところでもシーンとシーンの継ぎ接ぎ感が目立っていたように思う。
 まぁ、主人公が光州に戻ると決意したところでは泣かないわけにはいかなかったが!

(追記)
もちろん、ジャンル映画的であるから不誠実であるわけではないし、深刻な演出のされた映画であるから誠実な映画であるわけではない。深刻な演出をただ「楽しんでいる」に過ぎないとも言えるし、それへのアンチテーゼとしてのジャンル映画というのも当然ありえるからである(結局は映画は楽しむためにあるのさ!)。ただ問題は、その時作られるジャンル映画もまた自分のほうが誠実であると主張する以上、そうなるとそれもまた誠実さを「楽しんでいる」に過ぎないではないかと言いたくなってしまうことだ。それならばと、またストレートに深刻な映画に戻るのであるが……誠実性をめぐる泥沼から抜け出すのは困難である。抜け出るためには「誠実性」なるものを忘れるしかない(ポスト・トゥルース)。もしそうはなれないのであれば、つまり自分はあくまでも誠実であると言い張りたいのであれば、ベタな誠実さへのアンチテーゼとしてのジャンル映画化という一歩は踏み出すべきではないだろう。なぜなら、その一歩は誠実性めぐる泥沼を現出させ、結果そもそも誠実性に価値があるのかが怪しまれるからである。
何が言いたいかというと、『タクシー運転手』は誠実性を振り切ったポストトゥルース的作品ではなく、かといって誠実一辺倒でもない、半端な作品だということである。